7.関連情報・その他
浅間山(wikipedia)
● 西暦1108年(嘉承3年/天仁元年)の浅間山大噴火
義国流源氏一族による新田荘域開発の発端となった西暦1108年(嘉承3年、天仁元年)の浅間山の大噴火は、30億トンと推定される噴出物を伴う大噴火でした。それにより上野国(現在の群馬県)一帯には噴出物が降り積もり、田畑に壊滅的な打撃をもたらしたと『中右記』に記されています。
以下に『中右記』の記載本文と現代訳を記載します。
天仁元年九月五日
「近日上野國司進解状云,国中有高山,稱麻間峯,而從治暦間峯中細煙出來.其後微々成,從今年七月二十一日猛火燒山峯,其煙屬天沙礫滿國,【火畏】燼積庭,國内田畠依之已以滅亡,一國之災未有如此事,依希有之怪所記置也.」
(訳)この年の40年も前の治歴年間(1065〜1069)に噴煙が上がっており、その後も噴煙が上がり、同年7月21日になって突然大噴火を起こした。猛火が山峰を焼き、噴煙に混ざった砂礫が国中を満たし、燃えさしが庭に積もり、国中の田畑が壊滅してしまった。こんな事は今までに無かった怪異な出来事なので記す事にした。
この時の噴火は火山灰被害の他にも火砕流を伴い、長野県側にはその火砕流(追分火砕流)が約15Km程駆け下り、湯川、小諸市石峠付近まで達したそうです。