足利氏にゆかりの寺院 (光得寺)
光得寺遠景
臨済宗妙心寺派 菅田山 光得寺
足利義兼の子、義氏を開基として開かれました。樺崎八幡宮に程近い場所にあります。
足利義兼が厨子に納めて背負い諸国を巡礼したと伝わる東京国立博物館収蔵の大日如来像と、足利一族の供養の為に建てられたと伝わる五輪塔が有名です。
五輪塔には鑁阿寺本堂の再建に寄与した足利尊氏の父の貞氏、尊氏の重臣で同族でもあった南宗継、足利家の家宰であった高師直など名前が確認され、長らく境内に置かれていましたが、現在(平成25年現在)は保護の為に”覆い屋”を作る準備をしており公開されていません。(市の教育委員会が保管中)
この供養塔は元は
樺崎八幡宮に安置されていた物を、廃寺となり廃れる様を見かねた地元の有志により光得寺に移設されて手厚く保護され、今日まで残されたものです。 この五輪塔について鑁阿寺文書には次のような記述が残されています。
「就天下之恢異鳴動於于今在之(足利氏の天下に災いの起きたときには寺院が鳴動する)」
「此寺之繁昌者、則子孫之繁昌、此寺之衰微者、子孫深慎而己(この寺の繁栄衰退と足利氏の命運は一体的なものである)」
「右當寺者為代々先君御菩提所、都鄙之将軍家御墓、五輪石塔並甍、御仏事無怠轉、期松栢不朽之千歳者也(この寺(法界寺)は足利家代々の菩提所であり、都=将軍・鄙=鎌倉公方の五輪塔群が並んでいる。仏事を怠りなくすれば不朽の繁栄を期すであろう)」
五輪塔が埋もれず、保護され、散逸せず良好な状態で残された事は足利市として喜ばしい事であったと思われます。
(太田市にある義国神社境内の義国夫妻の供養塔と呼ばれる五輪塔の惨状と比較すると苦労が忍ばれます。)
ご本尊様
● 稲荷山(出世稲荷神社)
※ 山越忍空 「足利庄鑁阿寺」(P13参照)
によれば、光得寺の東に在る稲荷山に足利氏初代とされる足利義康の墓が有ると記されています。
歩いて1分ほど
お社は綺麗にされていますが、季節の都合から境内は少し荒れています。
※ ここに義康の墓が有ると言うので探しましたがそれらしい所に行き着きません。
失礼を顧みずお社の裏を観させていただきました。
予想をはるかに超えて綺麗な事に驚きました。修復の年代が判らないので比べられませんが、樺崎八幡宮のお社よりも上品に色が褪せていて自然です。大変落ち着いた風情を醸しています。
※ 光得寺の五輪塔の公開に合わせて、義康公の墓所なども見る事が出来れば素晴らしいですね。