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臨済宗妙心寺派 善徳寺


 

足利氏にゆかりの寺院 (善徳寺 )

善徳寺の山門より

臨済宗妙心寺派 東光山 善徳寺

 善徳寺は、西暦1368年に足利尊氏公を開基として、仏満禅師大喜法忻和尚(仏満禅師)を開山として創建され寺院です。
 仏満禅師は今川基氏の四男です。別項の説明に有る通り、足利義氏から四代後の子孫です。生年は確認できませんが西暦1368年に示寂されたとあります。家督を継いだ弟(五男)範国の生没年が西暦1295年〜1384年と伝わっていますから、誕生はそれ以前と思われます。
鎌倉浄智寺の太平妙準の法をつぎ、浄智寺(第34世)、円覚寺(第30世)、建長寺(第40世)の住持をつとめたそうです。

本堂正面より


※ 調べのついた範囲の仏満禅師開創寺院の記録
西暦1344年  
 臨済宗  上関山 極楽寺
西暦1345年
      興津承元寺開創(駿河安国寺)
 (開創年代不明)
 妙心寺派 瑞雲院(興津)
      光明寺(下清水)
      善応寺(蜂ケ谷)
      守護山 承元寺(興津)
 曹洞宗  真珠院(梅ヶ谷)
西暦1362年
      円覚寺塔頭 万富山 続燈庵(ぞくとうあん)
      開基 : 今川範国
      開山 : 円覚寺30世大喜法忻
      (晩年、続燈庵に退く)
西暦1368年
 妙心寺派 東光山 善徳寺(足利)
 (開創年代不明)
 妙心寺派 萬壽山 光明寺(足利)
西暦1373年
 臨済宗  法城山 観音禅寺      

※ 善徳寺創建の年である西暦1368年は、開山仏満禅師大喜法忻和尚の示寂の年となります。 尊氏公(西暦1305年〜1358年)が逝去し10年が過ぎ、前年(西暦1367年)5月に初代鎌倉公方・基氏公が、同年12月には二代室町将軍・義詮公が相次いで逝去しています。 西暦1368年、三代室町将軍に就いた足利義満はそれら先代からの願いを叶えるべく足利の地に善徳寺を開く事とし、仏満禅師は最後の仕事としてそれを成し遂げたと考えています。
 
 善徳寺創建の年代、室町幕府は足利義満の代ですが、関東の政権主体は鎌倉府です。当時の鎌倉府二代目鎌倉公方・氏満はまだ幼く管領職にあった山内上杉氏(当時の当主は上杉憲顕。後世、足利学校の中興を成し遂げる上杉憲実を生む家系)が善徳寺創建に尽力したと考えられます。


尊氏の足跡
 関東における尊氏公最後の足跡は西暦1352年の『武蔵野合戦』です。 戦いの結果、足利尊氏は新田義宗ら南朝方を関東から駆逐し、関東の全域を手中に納めました。 その後、尊氏は翌年7月まで関東の鎮撫に努めたと言われています。 足利氏歴代は、新たな領地の宣撫にあたり寺院を建立する事が多く見受けられます。 推測では有りますが、新田氏の排除に成功し、足利を回復した尊氏公・基氏公が、当地の宣撫の為に善徳寺並びに光明寺の創建を発願したと考えられます。

 尚、善徳寺が創建された年、西暦1368年は、源義国を共通の祖としながら、長らく南北朝に分かれ敵対した南朝方の新田義宗を上野沼田荘に打ち破った年にもあたります。


移転
 創建当初、善徳寺は勧農(現在の岩井町)にありましたが西暦1596年頃に当地に移ったそうです。その出来事に先立つ西暦1562年と1565年に、渡良瀬川で大きな氾濫が起きました。それまでは遠く足利の南、下野国と上野国の境を流れていた渡良瀬川が大きく流路を変えて、当時、善徳寺が建てられたと伝わる勧農の地を横切るようになりました。
 移転の原因であったかも知れません。

 善徳寺境内には平重盛の墓(供養塔)と言われる五輪塔も祀られています。詳細は不明ですが、藤姓足利氏により建立されたと言う説と平貞能によるという説があります。
何れも尊氏以前の年代の話であり、善徳寺創建以前から有ったのかも知れません。
<善徳寺に関しては、調査継続中> 

寺務所


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